2020年1月5日日曜日

2020/01/05(日) 主日礼拝説教要旨(降誕節第2主日)

「真の光を求めて」
イザヤ40:25―31 ヨハネ1:1―18

ヨハネ福音書の著者は主イエスの12弟子の一人、ゼベダイの子ヨハネと言われている。ゼベダイの子ヨハネに洗礼者ヨハネはイエスを「見よ、神の子羊だ」(1:36)と紹介する。ヨハネはイエスの弟子として、3年間イエスと生活を共にした。その間、彼は主イエスの多くの驚くべき働きを見、聴きした。このような経験をした彼にとって、イエスはもはや人ではなく、神としか思えなかった。だから彼は告白する。「私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1:14b)。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。この暗闇はこれからも続くのだろうか。歴史を見れば、イエスが来られても、闇は依然この世を支配していると認めざるを得ない。今もそうだ、憎み争いが絶えない。しかし、信仰の目で見れば異なる。ヨハネはこの闇を打ち砕くために「(イエスが)肉となって、私たちの間に宿られた」(1:14)と記す。ヨハネは言う「最大の恵みはどんな時でも神は共にいて下さり、私たちを愛していて下さることを信じることが出来ることだ」と。真の光を仰ぎつつ、この年も歩み始めたい。

2019年12月1日日曜日

2019/12/01(日) 主日礼拝説教要旨

「良い知らせを伝える」
イザヤ52:1-10 ヨハネ7:25-31

主イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と言われた。神の国は既に来たとのその良い知らせを、私たちは聞いたのである。現在の私達は「バビロン」に住んでいる。多くの人々が現在の生活に満足し、福音を聞いても、受け入れようとはしない。帰国を拒否した捕囚民の様に、である。人々は、自分達がどんなにもろい基盤の上で生活しているかを知らないからである。毎日誰かの上に起きている不幸な出来事が私たちに起こると、それだけで私たちの安定した生活は崩れる。解放者イエスと共に約束の地に帰れ、本当の平安を見出せと主は言われるのである。そして主は私達に約束される「人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」(ヨハネ黙示録21:3-4)。クリスマスの時、良い知らせを伝えて行こう。その時、主は、「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と言ってくださる。

2019年11月3日日曜日

2019/11/03(日) 主日礼拝説教要旨(降誕前節第8主日)

「あなたは、どこにいるのか。」
ヨハネ3:1-21 創世記3:1-15

アダムへのこの神の言葉こそ、聖書全巻を貫く神の御心を表している。自分勝手で、神様との真実な交わりを失った人間を、回復されようとする神様の御業の歴史である。神は自らの罪の中で明日への希望を失い、あえいでいる者に「あなたは、どこにいるのか。」そう語りかけておられる。私達には、この神様の呼びかけを伝えていく責任がある。この神様の呼びかけの言葉をたずさえ、罪人を捜し求める神様の御業の道具となる。それが、キリスト者、教会の使命である。「物陰の光が届かない所に身を隠しているのを止めなさい。光の中を共に歩もう。自分を責め、人を責め、悪口を言うことは止めよう。神様の光の中を、自由に共に歩き出そう。」そう、忍耐と愛をもって語り続けるのである。その言葉は、必ず届く。神の言葉だから。「あなたは、どこにいるのか。」神の言葉に応えて歩み出したい。